人間を機械と捉える歴史
ルネ・デカルトの人間機械論以降, 我々は自身の身体や生命活動を機械に例えるアナロジーを用いて説明するようになった. 現代においても, 人間の脳をコンピュータに例える説明が頻繁に見られる. Mochizuki (2001) はこのテーマを掘り下げており, 要約すると次のような内容である.
17世紀に始まった人間機械論は, デカルトの理論に基づき, 主に人体の動きに焦点を当てていた. 当時, 解剖学的知識が進歩し, 人体の外部的, 内部的構造に関する静的な知識が増えたが, 動的な運動の理解には機械時計を用いたアナロジーが必要とされた. このアプローチは, 機械時計と人間の身体および精神活動が同一視されることで一定の成果を得たものの, 矛盾も生じた.
18世紀後半になると, 人間の身体活動は化学反応によって説明されるようになり, 消化や体温生成などが化学反応の産物として理解された. この時期に発見された化学元素により, 血液も特別な生命体液ではなく, 炭酸ナトリウムや塩化カリウムなどの物質から成る液体として説明された. この変化により, 人間の身体活動はエネルギーの概念で説明され, 蒸気機関がそのモデルとされた.
以前の投稿で, 人間は脳をその時代の最新テクノロジーで例える傾向があることを述べた. 今回の内容は脳だけでなく人間全体を対象にしているが, それでもその時代の象徴的な技術を用いている点に変わりはない.
個人的な話だが, 体温の生成原理が18世紀後半に理解されたという事実には驚いた.
参考文献
- 望月由紀. (2001). 人間機械論における概念装置: 機械アナロジーの有効性. 社会文化科学研究, 5, 279-283.