遺伝子研究の(現在のところの)限界


以前の投稿で構成論的な研究の限界について言及した.その際参照した論文に遺伝学的なアプローチの限界点についても言及されていたのでまとめておきたい.

Hauser et al. (2014)によると, 言語研究における遺伝学的アプローチの一環としてFOXP2遺伝子の研究は, 言語の遺伝的基盤を探る上で重要であるとされる. しかし, FOXP2遺伝子が人間の言語能力にどのように関与しているかを解明するためには多くの課題がある. まず, FOXP2は言語運動失調症(SPCH1)という遺伝的障害と関連しており, 音声産出に重要な役割を果たしているとされるが, これだけでは人間の言語能力を全て説明する「十分条件」にはならない.

人間のFOXP2遺伝子は, チンパンジーやゴリラと比較してわずかに2つのアミノ酸が異なるだけであり, ネアンデルタール人と現生人類のFOXP2に違いがない. このため, ネアンデルタール人もある程度の音声能力を持っていた可能性があるが, 彼らの行動的証拠が不足しているため, 言語能力についての確実な結論を引き出すことは難しい.

さらに, FOXP2の進化的変化が音声に関連しているかについても議論がある. 当初は, 音声に関連する進化的変化がFOXP2のタンパク質コーディング領域に見られるとされていたが, 最近の研究では, 進化的変化がむしろ非コーディング領域に集中している可能性が指摘されている. 非コーディング領域は人間とネアンデルタール人の間で異なっており, これが言語能力にどのように影響しているかは今後の研究課題である.

動物モデルを用いた研究では, FOXP2がシマエナガ(鳥類)の音声学習やマウスの音声産出に関与していることが示されている. しかし, これらの研究結果は, 動物の音声学習が人間の言語の複雑さを反映しているわけではなく, 言語の進化的起源を直接説明するものではない. また, FOXP2は脳や肺, 腸など様々な組織で発現を調節するため, その広範な機能を考慮すると, 音声に特化した進化的役割を解明するのは容易ではない.

FOXP2遺伝子は他の遺伝子を調節する役割も担っており, その下流に位置するCNTNAP2などの遺伝子が言語発達障害や自閉症スペクトラム障害と関連している. CNTNAP2は神経成長やシナプスの形成に関与しており, この遺伝子の異常が言語障害を引き起こす可能性が示唆されている. しかし, FOXP2やCNTNAP2が言語の認知的側面にどのように影響を与えるかについては, まだ多くの部分が未解明である.

さらに, FOXP2の変異が人間の言語にどの程度影響を与えているかについても, 不明な点が多い. FOXP2は音声に関連する運動制御や系列化に関与している可能性があり, その変異が音声産出に問題を引き起こすとされるが, その変異が言語の構文や意味にまで影響を与えるかは明確ではない. さらに, FOXP2のアミノ酸の変化が言語の進化に適応したものであるかどうかについても確証はなく, 例えばこの変化が音声ではなく消化や他の身体的プロセスに関連する可能性も考えられている.

総じて, FOXP2遺伝子に関する研究は言語の遺伝的基盤を解明する上で重要であるが, FOXP2単独では人間の言語能力全体を説明するには不十分である. FOXP2が脳の発達や音声制御にどのように関与しているか, そして他の遺伝子との相互作用が言語発達にどのように影響するかを理解するためにはさらなる研究が必要である. 言語の進化を完全に解明するには, 遺伝子型と表現型の関係をより詳細に解明する必要があり, 現時点ではその理解には多くの課題が残されている.

参考文献

  • Hauser, M. D., Yang, C., Berwick, R. C., Tattersall, I., Ryan, M. J., Watumull, J., … & Lewontin, R. C. (2014). The mystery of language evolution. Frontiers in psychology, 5, 401.

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