音声として処理できる不思議


人間の言語は基本的に音声としてやりとりされる.

それは言語情報が音として伝播される過程であり, ある意味ではその音はただの空気の振動に過ぎない.

しかし, その中から我々は周囲の雑音と音声情報の振動を適切に切り分け, 音声情報のみを認識し, さらにそれを適切な言語情報へと変換することができる.

こういった当たり前の事象を探究していくことが学問の仕事であるが, それを美しく言語化している一節に出会った.

ヒトの口から出て来る音声は, それ自体では単なるノイズに過ぎない. それにもかかわらず, われわれが言語によってある出来事を描き出し, 対話の相手と協力し合えるのは, よく考えると驚くべきことではないだろうか. (Ohori, 2002)

この「よく考えると驚くべきことではないだろうか」という観点は研究者として常に忘れてはならない視点であろう.

我々は当たり前だと思ってしまっていることについて, 改めてよく考え, 驚きと出会い, その裏に動くメカニズムや背景を考えていかなくてはならない.

最近, 仕事や事務に忙殺されあまり上手く事が運んでいなかったのだが, 改めて初心を忘れずに研究を進めていきたいと考える所存である.

参考文献

  • 大堀壽夫. (2002). 認知言語学.

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