学習ノート Child Language Development lecture 1a の続き。
言語習得の疑問点
子供は3歳頃までに無限に(infinite)組み合わせ可能な(combinatorial)複層に渡る(multi-leveled)システムの基礎知識とそのシステム内で不可欠な制約を獲得する。これは国や文化や環境に依存しない。
これはどうやって可能になっているのか?というのが言語習得の疑問点である。
子供が言語習得のために必要なものとしてPositive EvidenceとNegative Evidenceがある。
Positive Evidence とは、その言語内で何が許されているか(文法的に可能であるか)を示すものである。e.g. I like going to the gym.
Negative Evidenceは、その言語内で何が許されていないか(文法的に不可能であるか)を示すものである。e.g. *Gym to like I going.
子供は言語習得を行うために、言語内で何が許されているかを聴く必要がある。しかし、そのためにはインプットを構成素に分けて分析する必要がある。そして、分析するためにはその言語の知識と構造を習得していなければならないというジレンマに陥る。
さらに、子供が接するインプット量は言語習得において十分でないようにも感じられる。
大人は日常生活を送る時に自身の持つボキャブラリーを全て使って生活するわけではない。さらに、しばしば大人は子供に対して独特の言葉遣いを用いる。カテゴリー化の問題もあるだろう。似ている言葉をどうやって判別するかという曖昧さもある。
これは刺激の貧困(Poverty of the stimulus)と言われる。
さらに子供はその言語内で何が許されていないかをも知る必要もある。
これはつまり何が正しく無いのかを知ることである。親が教えるのだろうか?実は一般的に親は子供の文法を訂正しないことが分かっている。
言語構造内で起こらないことが間接的にnegative evidenceを示しているのかもしれない。つまり、起こらないことには接しないのだから学びようが無いということである。
何にせよ、最終的に空気の振動つまり音以外の言語インプットは無い。
子供は音を聞いて言語を学んでいくのである。
すると、最初の問題 インプットを構成素に分けて分析する ということがいかにして行われているかを考える必要がある。文章は単語が連なって発話されているのに、どうやって子供は単語や意味の途切れ目を見つけるのかという問題だ。
この作業を行うためには音響波を言語的単位に変換する必要がある。しかし、発話の流れというのは非常に曖昧である。
さらに、周囲の環境によって同じ音でも異なって聴こえたり、話者によって差異があったりもする。また、他の言語では異なった音が同じ音として扱われているケースもある。
さらに大人にとって発話認識は一音一音を認識しなくても構わなくなる。例えば、splitの/p/はしばしば脱落するが、大人は問題なく認識する。
mindは実際の音の先に行くのだ。