人間の言語学習は生まれか育ちか


ところどころで書いているが、人間の言語習得には2つの説がある。

それが学習説と生得説だ(経験主義と生得主義というような表現も一般的である)。これを投稿としてまとめていなかったので今回まとめたい。

これは心理言語学や言語習得でよく問われており、この問いに答えることが言語学の一つの大きな課題だったりする。

私は講義でこの問を「言語習得は生まれか育ちか (Nature or Nurture)」という表現で習ったことを覚えている。

簡単にまとめよう。

学習説は、人間の言語習得は生まれてから生きていく中での後天的な学習として行われると考える。この話でよく出てくるのが白紙状態 ( tabula rasa )と行動主義心理学 (behaviorism) である。

白紙状態 ( tabula rasa )はアリストテレス以来続く考え方で、人間は白紙状態 ( tabula rasa )で生まれてくると考えられてきた。つまり、生まれた段階では何も書かれていない状態であるということだ。

他方、行動主義心理学 (behaviorism)は人間の行動を「刺激」と「反応」で説明しようとする学問である。ここで有名なのはスキナー箱が挙げられる。

スキナー箱はネズミや鳩を入れられる箱にレバーや餌やり機をつけたものである。この箱の中で動物はレバーを引くと餌が出るような装置から「刺激」と「反応」の結果を学習する。

スキナー箱はシンプルな原理のものだが人間の言語習得もその延長にあると考えられた。しかし、言語現象は複雑でありこれでは説明できないものも多数あった。

参考文献

  • 酒井邦嘉. (2019). チョムスキーと言語脳科学.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です