人間の言語学習は生まれか育ちか


前回書いた通り、人間の言語習得には2つの説がある。学習説と生得説だ。

前回はその中の学習を見た。 これは行動主義心理学 (behaviorism)にみられるように「刺激」と「反応」の結果を学習していくという理論であり、 人間の言語習得もこの仕組みを使えば学習可能と考えられていた。 しかし、人間の言語現象は非常に複雑で「刺激」と「反応」 のみでは説明不可能な点もあった。

今回は、その点について深くまとめておきたい。

「刺激」と「反応」で説明をしようとする場合、 問題になるのは刺激の貧困 (The Poverty of Stimulus)と呼ばれるものだ。 これは簡単に言えば、 言語の複雑性に対して我々が受け取るインプットは不十分かつ不完全であると言う問題である。

例えば次の文を見たい。

(a) 花子が太郎に自分の写真を見せた

(b) 花子が太郎に自分の写真を撮らせた
(sakai 2019)

(a) の文章の「自分」は花子のことを示し、太郎のことは示さない。しかし、 (b) の文章の「自分」は花子かもしれないし太郎かもしれない。

この2つの文章の中で異なっているのは最後の動詞のみであるが、「自分」という言葉の解釈にも影響を与える。

こういった違いを単純に「刺激」と「反応」だけで説明することは困難である。

参考文献

  • 酒井邦嘉. (2019). チョムスキーと言語脳科学.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です