意味と切り離された統語論
これまでの投稿で, 文法と意味の違いについて度々議論してきた. 言語学では, 意味という概念の扱いに非常に苦労してきた歴史がある. 特に, Chomsky率いる生成文法学派は, 一旦意味を脇に置き, 統語論を独立した要素として研究を進めた.
その際, 意味と統語論を分離すべき根拠として有名な例が以下の文である.
Colorless green ideas sleep furiously.
(Chomsky, 1957)
この文を日本語に訳すと「無色の緑の考えが猛烈に眠る」となる. 文法的には正しい構造を持つが, 意味的には解釈が難しい文である. これは, 統語論的には容認される一方で, 意味論的には容認されにくい文と言い換えることができる.
この例を通じて, Chomskyは言語における統語的要素と意味的要素は独立した因子であるとし, 統語論を自律的な研究領域として確立した. この考え方は統語論の自律性(the autonomy of syntax)と呼ばれる. さらに, この自律性は意味論だけでなく, 音声処理においても同様に適用可能である.
一方で, 意味を脇に置くこの研究手法は多くの議論を引き起こし, 言語学全体の発展に大きな影響を与えた. 統語論の自律性という視点は, 言語研究の枠組みを広げただけでなく,議論の種になったと言える.
参考文献
- Takubo, Y. (2016). 統語論の自律性について (Autonomy hypothesis of syntax).
- Chomsky, N. (1957). Syntactic Structures.