アル=サイード・ベドウィン手話(ABSL)
人間の言語の研究は, その進化的な鑑定から考えると, 実証的な研究が非常に難しい. なぜならば, 当然のことではあるが, 常に言語は長く使われてきたものであり, その始まりを再現することなどできないからである.
他方, そういった難しさがあるにもかかわらず近年発生したと思われ, 研究されている言語もある.
アル=サイード・ベドウィン手話 (Al-Sayyid Bedouin Sign Language, ABSL)はそのひとつである. 本稿ではその内容を見ていく.
アル=サイード・ベドウィン手話はイスラエルのネゲヴ地方に存在するアル=サイード・ベドウィン・コミュニティにおいて, 過去70年以内に自然発生したと思われる手話である. このコミュニティでは遺伝的要因(劣性遺伝のDFNB1)による先天性のろう者が過去3世代で約150人生まれており, それが手話発達の理由になったと考えられている. アル=サイード・ベドウィン手話の最大の特徴は, その創発と使用が, 社会的断絶や他言語との接触がない, 非常に安定したコミュニティ内部で起こったことである. ろう者と健聴者が日常的に交流し, 多くの健聴者が手話話者であるため, 手話は常に大人のモデルが存在する環境で次世代に伝達される. これにより, 外部からの影響を受けずに, 言語としての体系的な構造を自律的に発達させたと見なすことができる.
こういった事例を踏まえると, 言語の進化的な研究にも新たな光を当てることができるであろう.
参考文献
- Sandler, W., Meir, I., Padden, C., & Aronoff, M. (2005). The emergence of grammar: Systematic structure in a new language. Proceedings of the National Academy of Sciences, 102(7), 2661-2665.