失語症に関する覚書。


失語症

我々人間は健常に生きている限り、言語を扱う能力を有している。しかも非常に卓越した能力をだ。複雑な構文を伴う音声を一瞬のうちに理解し、それに対して返答まで生成できる。

この能力は幼少期に一度獲得されてしまえば、基本的には一生涯失われることがない。

しかし、まれに事故や卒中などで脳に何がしかの損傷を受けた場合にこの能力が阻害されることがある。この障害のことを失語症(aphasia)という。

失語症という名前からも推察できるように、この障害は言語能力を喪失することであるから言語能力を獲得したのちに失う後天的な症状のみを指す。先天的に言語能力に障害を持つものは失語症の範疇には含めない。(Kemmerer 2015)

失語症患者は日本国内で約50万人いると推定されており、60-80歳代の患者が多い。

歴史的背景

原始的な研究

失語症研究の歴史は紀元前17世紀まで遡ることができる。
古代エジプト時代に残されたEdwin Smith Papyrusがそれである。このEdwin Smith Papyrusは人類最初の医学書と言われていて、外傷の診断と治療に関する脳や脊髄の解剖的構造の記述を残している。

その中に言葉を理解できない状態についての言及があるため、これを失語症研究の発露とみなすことができるだろう。具体的には剣による外傷で側頭部を怪我した患者が言語の理解と産出において困難な状況となるという記述がある(らしい)。これは現代風に言い換えれば、言語野に外傷を負ったため失語症が発症したと言えるだろう(側頭部には言語野が存在することも根拠になる)。

近代的な研究

上述のEdwin Smith Papyrusは紀元前17世紀という人類の歴史までを範疇にとらえるほど古いものだったが、その後の失語症研究はずっと飛んで近代まで戻ってくることになる。

今から約200年前、骨相学(phrenology)の創始者の一人と目されるフランツ ・ ヨセフ ・ ガール(Frantz Joseph Gall) (1758−1828)というオーストリア人医師は、自分の親友たちのなかに眼球が突き出ている者が何人かいることに気がついた。その後彼は、この現象は目の背後にある脳の一部が重要な言語機能に対応するように肥大化した結果である、と推論した。
             (木下 2010)

このような形で言語と脳の関係性は再び注目を集める。

ここで重要なのは脳の一部が重要な言語機能に対応するという考え方である。つまり、脳内に言語機能を司る特定の部位が存在しているという局在化理論(theory of localization)がここに見られるのだ。(部位等は関係なく、脳はそれ自体が一つの機能しか持たないとする考えがそれまでは主流であった。)

その後1861年から1865年にかけて、フランスの外科医・解剖学者・人類学者であるポール・ブローカ(Paul Broca)がこの理論を補強していくことになる。

ブローカはルボルニュという言語障害を患っていた患者を受け持った。そのルボルニュ氏が亡くなった後、脳の解剖を行ったところ左半球の前頭葉後方下部に損傷があることを確認した。そこからさらに、言語障害を持つ患者の脳を検査し、同様に左半球の一部に損傷があることを確認したブローカは、《Nous parlons avec l’hémisphère gauche》 (われわれは左半球で話しているのだ)という言葉を残した。

ブローカが確認した脳の損傷部分は現在はブローカ野(Broca’s Area)と呼ばれ、ブローカ野の損傷により発生する失語症はブローカ失語と名付けられた。

ここから近代的な失語症研究が始まった。

参考文献
「失語症の人の生活のしづらさに関する調査」 調査結果(抜粋)

Kemmerer, D. (2014). Cognitive neuroscience of language. Psychology Press.

Minagar A, Ragheb J, Kelly RE: The Edwin Smith surgical papyrus: description and analysis of the earliest case of aphasia. J Med Biogr 11: 114-7, 2003

木下裕昭. (2010). 失語症における言語の産出と理解. 和洋女子大学紀要, 50, 187-200.

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