なぜ、生成文法が理解しにくいのか


ここ数ヶ月、ずっと生成文法について学んでいる。正直に言えば修士の頃よりも会社員の今の方が学んでいるくらいだと思うくらい。

その過程で生成文法の親しみにくさの背景にあるものが見えてきたような感じがしている。

それが生成文法の焦点である。言語学というと言語全般を扱うように感じられるが、生成文法が扱っているのは言語ではなく文法である。

この点を前提に学んでみると、意外とすんなり受け入れられる気がしてくる。(この前提をすんなり受け入れられるかは別であるが)

この部分が強く現れているチョムスキーの一節を引用したい。

“Generative grammar has a totally different concern. From the point of view of generative grammar, language may not even exist. In fact, in my view it is very unclear what the notion of language refers to, if anything.”
(Chomsky 1984)

生成文法はまったく異なる関心を持っています。生成文法の観点から言えば、言語は存在しないかもしれません。実際、私の見解では、言語の概念が何を指しているのか、もしそれが何かを指しているのであれば、非常に不明確です。
(ChatGPT 訳)

参考文献

  • Chomsky, N. (1984). Modular Approaches to the Study of the Mind. (No Title).

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