生成文法が疑った仮説


言語学にも様々な時代があり, その時代ごとに言語に対する考え方も大きく異なる. Chomsky (2021)によれば, 生成文法以前のBloomfield学派は言語を”a matter of training and habit”(訓練と習慣の問題)として考えていた. 言語は習慣として使われるものの体系として存在しており, それが訓練されて新しい経験と共に変化していくということである. また, 新規に生じる言語表現は”analogy”(類推)によるものだとも考えられた.

他方で生成文法は, この仮定に疑問を持つことから始まったとChomskyは述べている. そして, そこから生まれた生成文法はそれ以前とは異なる発想を持ち, 非常に大きな貢献を残した.

Most important, these new tools provided the means for developing explanatory theories of a language that (at least) provide “a recursive specification of a denumerable set of sentences,” in the words of the first attempt, 70 years ago, to develop what later came to be called generative grammars.

(Chomsky, 2021, p. 6)

産出は、他の創造的活動と同様に、いかなる基本的な意味においても手の届かないものであり、単純な自発的行動でさえそうである。最も重要なことは、これらの新しいツールが、(少なくとも)「可算無限の文の集合の再帰的仕様」を提供する言語の説明理論を開発する手段を提供したことである。これは、70年前の、後に生成文法と呼ばれるようになったものを開発する最初の試みの言葉である。

(Gemini 訳)

参考文献

  • Chomsky, N. (2021). Minimalism: Where are we now, and where can we hope to go. Gengo Kenkyu (Journal of the Linguistic Society of Japan), 160, 1-41.

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