包括的か排他的か
統語論の教授が開いているリーディンググループというものに参加させてもらえることになった。論文が1つ送られてきて、それについて意見を交わそうという勉強会だ。第1回目は明日だが、そのための論文がまた長い。正直間に合う気がしない。
今回の論文の中で、InclusiveとExclusiveの対比が出てきた。今回はこのことについて書きたい。
そもそもInclusiveとExclusiveとは何かを確認しておこう。
これは代名詞を使うとき、どこまでの範疇を示しているのかという話である。
例えば、 会社の部署毎の報告会で我々はというとき、その我々には他の部署は入っていない。しかし、会社間での取引をするときに我々といえば、それはすべての部署を含んだ会社全体を指すことになる。同じ我々でも文脈によって指し示す対象が変わるのである。これがInclusiveかExclusiveかという話である。形態的には同じ我々という言葉で表されるために、混乱が生じるときもある。
しかし、アウストラロネシア系の言語ではこの区別を持った形態システムを有しているらしい。つまり、他部署を含む我々と含まない我々を別々の言葉で使いわけるそうだ。これはとても面白い。
いつか、歴史的な変化を調べてみたい。