音の強烈さ。


今度、自分がなぜこの分野を研究することになったかと言うような背景を話す発表することになった。

なので、最近改めて自分がなぜ言語を学び始めたのか、なぜ言語学に惹かれていったのかを思い出している。

そこで避けて通れないと考えているのが、伊藤計画の虐殺器官である。 ネタバレになるので言えないが、この小説は言語を主軸とした物語が展開される。 この小説に出会わなければ、言語学に惹かれなかったであろう事はまず間違いない。

その小説の中で次のような一説が登場する。

意味なんてのは、その上で取り澄ましている役に立たない貴族のようなものだ。音は意味をバイパスすることができる」
伊藤 計劃. 虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA) (Japanese Edition) (p. 204). 早川書房. Kindle Edition.

詳しくは小説をきちんと読んで欲しいが、この小説内で出てくるジョンポールと言う登場人物の言葉が上記の引用である。

私はこの言葉に強く惹かれた。 我々の言葉は、もしかすると、単純な音によって、その効果を打ち消されてしまうような儚いものなのかもしれない。

これは先日の音楽と、言語の起源についての投稿ともつながるところがあるだろう。

参考文献

  • 伊藤 計劃. 虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA) (Japanese Edition) 早川書房. Kindle Edition.

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