既に出発しまった船。


最近、 言語とフラクタルと言う本を購入しまだパラパラとめくっている段階であるが、 非常に面白い。 言語における統計的な普遍性等をまとめており、 私が普段読んでいるような言語学の本とは違った視点から言語を考えることができる。

その中で1つ興味深い指摘があった。 それがノイラートの船と言うものだ。

これはどうもオットー・ノイラートという人物が提唱したものを Gavagai 問題で知られる Quine が引用し有名になったようだ。

このノイラートの船の原文が入手できていないのだが wikipedia から引用すると下記である。

われわれは、乗船中の船を大海原で改修しなければならない船乗りの様なものである。一から組み直すことなどできるはずものなく、梁を外したら間髪入れず新しい梁を付けねばならないし、そのためには船体の残りの部分を支保に利用するしかない。そういう具合に、古い梁や流木を使って船体全てを新しく作り上げることはできるものの、再構成は徐々にしかおこなえない。
Wikipedia オットー・ノイラートより引用

興味深い指摘と言うのは、これが言語にも当てはまるということだ。

言語は常に変化を起こしている。 それは単語レベルの変化かもしれないし、 音韻レベルの変化かもしれないが常に変化を起こしている。 一方で、言語は常に言語として利用可能でなければならない。

つまり、 既に大海原を渡る船のように利用できる一方で、再構成を行っているのである。

参考文献

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です