学習ノート Child Language Development lecture 1b の続き。

復習

言語的な要素は分離していても、発話インプットは連続して聞こえる。

その要素は環境によって提示されていないことがわかる。

 

言語獲得の根本的な問題点

前回のジレンマを踏まえて考えると、子供はPLD(Primary Linguistic Data)を使い、新しい言語知識を獲得するために先行する知識をいくらか持っている必要がある。

言語的要素はデータによって学習される。

では、子供のmindの中ではどのようにその要素は認識されているのだろうか?

これはこの問題にもつながる。限られた量のサンプルから、無限に存在する文をどうやって正しく帰納しているのかという問題だ。

限られたデータのサンプルから、無数の結果が帰納によって発生するということになる。

文法を正しく帰納する学習者は優先的な制約を尊重しているという考え方もある。(prior/innate constraints)

このように、言語は学習によって得られるものなのか、生得的に持っているものなのかはずっと議論が続いている。ここでそれぞれの特徴をまとめたいと思う。

EMPIRICIST RATIONALIST
知識の源 Experience of the world Structure of the mind
幼児が持つもの blank slate (Tabula rasa) Mental Structure
どうやって知識は学習されるか Induction 帰納 Deduction 演繹

しかし、現在はRationalistのアプローチが優勢である。

Mental Structureが言語的経験に従って働いている。究極的な知識の源は子供のmindであると考えられているのだ。

言語獲得に不可欠なメカニズムは、インプットとして何が受容できるか判断し新たな知識を演繹するmind能力に依存している。

これをThe Language Facultyとする。

これはあらゆる言語を獲得できるという能力で初期にはLanguage Acquisition Device(LAD)、のちにUniversal Grammarとなるアイデアである。それは言語情報を正しく発話可能にするためのフォーマットのようなものである。全ての言語に通ずる原則・規則・カテゴリーなどがそれである。例を挙げると、統語的なカテゴリーの名詞や動詞、否定文、疑問文、Movementなどである。

例えるなら、OSがUGであり、その上でインストールされるアプリケーションが個別の言語のようなものだ。

生得的に原則がプログラムされていて、特定の言語に触れることにより、その言語内で何が可能なのか、何が不可能なのかをインストールするということだ。

ここでUGについていくつか明記しておくことがある。

  • UGは経験やinputの役割を否定していない。
  • むしろ、UGはinputと結びついてこそ経験を超えることを可能にする。
  • UGは他の認知的要素が言語習得に不可欠であるということを否定しない。
  • UGは特定の言語の文法が生得的であると主張しない。
UG NON-UG
Structure dependence Articulation
Syntactic categories Vocabulary
Binding Principles Syntactic rules
Move alpha Phonological rules
levels of representation pragmatics
Recursion
Hierarchical Organisation

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です