言語は余剰を許容するのか?


我々の言語は見方によっては大量の無駄を生成する。

例えば、次の文章を考えてみたい。

  1. It is an apple.

これは4つの単語から構成され、 英語として容認可能性が高いと判断された文章である。 あまりに当然の話であるが、 この4単語をもとに、次の内容を考えてみたい。

4つの単語を並べる順列は4!で求められるので計算すると4 × 3 × 2 × 1 = 24 となり、 この4つの単語だけで、24通りの文章が生成できることになる。

具体的には下記である。(文頭大文字はIt 以外省略)

  1. It is an apple
  2. *It is apple an
  3. * It an is apple
  4. * It an apple is
  5. * It apple is an
  6. * It apple an is
  7. is It an apple
  8. * is It apple an
  9. * is an It apple
  10. * is an apple It
  11. * is apple It an
  12. * is apple an It
  13. * an It is apple
  14. * an It apple is
  15. * an is It apple
  16. * an is apple It
  17. * an apple It is
  18. * an apple is It
  19. * apple It is an
  20. * apple It an is
  21. * apple is It an
  22. * apple is an It
  23. * apple an It is
  24. * apple an is It

このように多数の文章が生成出来るにも関わらず、英語話者が容認するのは、1 と 7 の2通りだけである。このように言語は大量の無駄を生成出来る能力を持っているにも関わらず、その中の一部のみを容認するというシステム体系をしているように思える。

つまり、言い換えるならば、言語は一旦多数の余剰を許容し、その後に淘汰を行うシステムを有していると考えることができる。

これはミニマリスト・プログラム以前の生成文法の理論に通ずるところがあると言える。(他方、ミニマリスト・プログラム以後の生成文法は一切の余剰性や無駄を許さないという方向に理論の舵を切った。)

参考文献

  • 藤田耕司. (2003). 生物言語学の展開-生成文法から見た言語発生の諸問題. Viva origino, 31(2), 104-121.

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