今まで二つの投稿に渡って、私なりの人類史を述べてきた。詳しくは以下を参照されたい。

理想言語の構築は可能だと考える理由。Part 1 「拡張の時代」

理想言語の構築は可能だと考える理由。Part 2 「自動化の時代」

そして、今回の投稿では現在から未来に向けての予想を書きたいと思う。「融合の時代」である。では、融合とはどういうことだろうか?それは人体をテクノロジーにより改良するプロセスに他ならない。今まで我々が獲得してきた拡張・自動化の技術を取り込み、自らの身体能力を向上させるのである。身近な言葉で表現すればサイボーグである。

こんなことを書くと、SFの世界を想像して「何を馬鹿げたことを言っているのだ」と感じる方もいるかもしれない。しかし、サイボーグは実はすでに我々の社会に溶け込んでいる。

そもそもサイボーグの定義とはなんであろうか。広辞苑をひくとこう載っている。

動物、特に人間の生体機能の重要な部分を電子機器などに代行させたもの。

広辞苑 「サイボーグ」より

確かに、この定義はSF世界など手からビームを出しているサイボーグと一致している。しかし、この定義に則るなら義手や義足や人工関節を利用している方はサイボーグになる。

現代社会においてもサイボーグは存在しているのだ。そして、このサイボーグは今後ますます増えていき、人間とサイボーグの境界は曖昧になっていくと私は考える。

 

その大きな理由は高齢化である。医療技術の発達により、我々人類の寿命はどんどん伸びている。しかし、未だ老いは克服されていない。人は老いるのだ。筋力は落ち、腰は曲がらなくなり、足も動かなくなる。それはつまり身体の多様性が上がるのだ。その多様性を支えるために、サイボーグ技術は普及していく。

もし、あなたの祖母が不幸なことに骨を折ってしまい、人口骨を埋め込んだことになってしまったとする。その時、あなたは祖母のことをサイボーグだと認識するだろうか?おそらくしないだろう。高齢化すればするほどこういった事例は増えていく。どこまでが人間でどこからがサイボーグか。境界線を見つけるのは難しくなっていくはずだ。

そして、そのような社会では自身をサイボーグ化することへの抵抗感は、現在よりずっと低くなっているはずだ。この社会的な変化が人類がサイボーグ化を始める第一段階である。人々からサイボーグ化への抵抗・恐怖を取り除くのである。

第一段階では生身の身体に不都合が起こるがゆえサイボーグ化を迫られた。しかし、第二段階では生身の身体に不都合がなくとも、より便利な身体を求めてサイボーグ化を行う人々が増えると私は考える。そして、第二段階で本格的に融合が始まっていくだろう。

興味深い事例がある。2012年ロンドンオリンピック・パラリンピックの陸上男子走り幅跳びにて、義足の選手の記録が健常者の記録を超えて優勝したというものだ。生身よりも義足の方が身体性が向上しているのである。これはサイボーグ化により生身の身体を超えた能力を得たことを示唆している。

Markus Rehm

もしこれが義手ならばどうだろう?腕力のある人は土木工事などにおいて重宝されるだろう。繊細さを持つ人は機械工に有利だろう。人々はよりニーズにあった身体を求め始め、実際にサイボーグ化を行うようになる。すると社会的な優位性はおそらくサイボーグ化した人間の方が高くなるのではないだろうか?例えば、サイボーグ化した友人と生身の私が工事現場で働きたいとした時、まず採用されるのは友人であろう。そうなっては私もサイボーグ化せずにはいられない。こうした競争原理により、サイボーグ化のアウトブレイクが起こると私は考える。資本主義社会では競争原理が要なのだから。

アウトブレイクが起こるとどうなるであろうか。その世界では、万人が他者の身体能力を手に入ることができる様になるであろう。もしあなたが寿司職人になりたければ、サイボーグ化した腕に寿司職人の技術データをダウンロードすれば再現可能になるからだ。つまり、万人の身体を万人が共有可能になるのである。そしてその流れに従って、脳もサイボーグ化されはじめるだろう。なぜなら、身体が万人に共有可能となってしまったとき、差別化を計れるのは脳だけだからである。

未来学者のレイ・カーツワイル氏は2030年代には人間の脳はクラウドに接続し、思考や記憶のバックアップが可能になると予測している。これは簡単に言えば、人間とスマートフォンの融合であろう。実際、我々はスマートフォンを通して似たようなことをすでにやっているはずである。我々のスマートフォンは常にネットと情報をやり取りし、自分の思考をスマートフォンにメモなどで記憶させリマインドさせる。ただ、それをスマートフォンを介さずに行おうというわけである。

そして、この段階において私が考える理想言語は実現可能となるはずである。なぜなら、言語というのは情報であり、情報を交換するためのスマートフォンを人体に融合することは、そのまま人体が情報ツールとなるからである。そして、情報がそのままの形で共有可能になる状態こそ

あらゆる人がその意義を学ぶことなく意志だけで他の人の考えを理解する言語を考案することができるなら 、この言語は考えうるかぎり最良のものだろう 。

という私が以前述べた理想言語を再現可能にしてくれるであろう。

 

これこそが私が理想言語の構築は可能だと考える理由である。

 

今まで私は本投稿も含めて3回に渡って、私の考える人類史観を述べてきた。

外部装置という共有可能拡張技術を手にした人類は進化の外注をすることで急速に進化してきた。しかし、のちに自動化という技術を獲得し産業革命を経て競争原理による資本主義社会の影響が大きなものとなる。その延長にAIが誕生し我々の人間性は大きく変わろうとし始めている。その変化はおそらく融合へと向かうであろう。今までの技術を用いて進化を自主開発するのだ。その過程で理想言語は実現可能になる。

これが私の考えであり、その言語を見てみたいというのが私の興味である。

 

そして、ここからがこれまでの投稿の本題である。

私はあなたと意見を交換したいのだ。恥ずかしながら私の知見は浅い。それゆえに私の持っていない、あなたの知見を頂きたいのだ。今までの投稿も私と違う知見を持っておられる方には疑問に思う点・反論を持つ点などが多々おありだろう。甲論乙駁はもっともである。その意見をお聞かせ願えるのなら、それは大変嬉しいものであり、私がこの投稿を書いた目的が達成されることとなる。

どうか気軽にコメントやメッセージを送って頂きたい。

 

改めて、読んで頂いたことに感謝を述べ本投稿を締めくくる。

 

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